ようやっと生活が安定してきたので、生存報告を兼ねましてこの地震での日々を記録しておこうと思います。
山形は他県に比べると被害(人的物的)は少ないので報道される事もほとんど無いですが、それでも日常が完全に取り戻せていないのが現状です。
3月11日
その日は日勤でした。3月なのに雪の吹雪く寒い日でした。何とも無く仕事をしていましたが、2時45分頃のその時会社で普通に仕事をしていた私は社内放送で警告を聞き、そのすぐ後に大きな地震に遭いました。大きな横揺れで何かに掴まらないと立ってはいられませんでした。揺れが一旦収まった所でTシャツ一枚で工場の外へ避難しました。外は吹雪きで震えながらあつまり、点呼を取り、その後食堂で待機となりました。その時はもう停電で工場内は真っ暗でした。
午後4時頃殆どの社員(派遣含む)が解散になり自宅へ向かう事になりました。が、信号機がすべて停電で消えており、車をおっかなびっくり走らせながら家路に着きました。家では電気を使わない石油ヒーターを引っ張り出し、暖を取りながらラジオで情報を集めながら、家族の安否、この時点で連絡が取れない妹を待っている状態でした。
午後6時過ぎになってようやく妹が帰って来ました。どうやらスーパーで買出しをしてくれていたみたいで、妹の旦那を呼んでランプの光で皆で食事をしてそれぞれの家に解散になりました。自分は近所の祖父母の家に住んで居るのでそこへ帰ると真っ暗な家で蝋燭を焚いていました。まだ午後9時位でしたがその日は酒を飲んですぐに寝ました。が、1時間に何回もくる余震、その何回かに一回は震度3以上の揺れで起されてしまい全然寝た気がしませんでした。おまけに寒くて(外気温ー2℃)布団を顔までかぶってました…
3月12日
鍋で炊いたご飯を食べて取り合えず出社するも点呼取っただけで解散になり、取り合えず市中を軽く見回ってから帰宅。市中では停電でも手売りで店を開けている所も点々とあり、そこには日用品や食料を求める人々が押し寄せていました。
自宅でラジオを聞いていると、午後3時位から電気が復旧してきているということで待っていましたが、同じ市内でも復旧するのに差があるようで、午後7時には酒を飲んでねてしまいました。夜10時頃の地震で目が覚めた時には電気が復旧していたので、すぐにヒーターをつけて暖をとりました。電気が無いと本当に夜は何もする事がなくて、寝ることしか出来なかったのですが、本当に電気の有り難味をしりました。
3月13日
久しぶりにまともな飯を食べて出勤。工場内の電気回復を待って点検して帰宅。そろそろガソリンが心もとないのでしたが、どこも売り切れ状態で断念しました。
流通が止まっているようで、食料やガソリンの供給が再開しないといつまでこの生活が続けられるのか分かりません。また計画停電の話も出てきているようで先行きは不安ばかりです。未だに続く余震。一日も早い復興を祈っております。
山形は他県に比べると被害(人的物的)は少ないので報道される事もほとんど無いですが、それでも日常が完全に取り戻せていないのが現状です。
3月11日
その日は日勤でした。3月なのに雪の吹雪く寒い日でした。何とも無く仕事をしていましたが、2時45分頃のその時会社で普通に仕事をしていた私は社内放送で警告を聞き、そのすぐ後に大きな地震に遭いました。大きな横揺れで何かに掴まらないと立ってはいられませんでした。揺れが一旦収まった所でTシャツ一枚で工場の外へ避難しました。外は吹雪きで震えながらあつまり、点呼を取り、その後食堂で待機となりました。その時はもう停電で工場内は真っ暗でした。
午後4時頃殆どの社員(派遣含む)が解散になり自宅へ向かう事になりました。が、信号機がすべて停電で消えており、車をおっかなびっくり走らせながら家路に着きました。家では電気を使わない石油ヒーターを引っ張り出し、暖を取りながらラジオで情報を集めながら、家族の安否、この時点で連絡が取れない妹を待っている状態でした。
午後6時過ぎになってようやく妹が帰って来ました。どうやらスーパーで買出しをしてくれていたみたいで、妹の旦那を呼んでランプの光で皆で食事をしてそれぞれの家に解散になりました。自分は近所の祖父母の家に住んで居るのでそこへ帰ると真っ暗な家で蝋燭を焚いていました。まだ午後9時位でしたがその日は酒を飲んですぐに寝ました。が、1時間に何回もくる余震、その何回かに一回は震度3以上の揺れで起されてしまい全然寝た気がしませんでした。おまけに寒くて(外気温ー2℃)布団を顔までかぶってました…
3月12日
鍋で炊いたご飯を食べて取り合えず出社するも点呼取っただけで解散になり、取り合えず市中を軽く見回ってから帰宅。市中では停電でも手売りで店を開けている所も点々とあり、そこには日用品や食料を求める人々が押し寄せていました。
自宅でラジオを聞いていると、午後3時位から電気が復旧してきているということで待っていましたが、同じ市内でも復旧するのに差があるようで、午後7時には酒を飲んでねてしまいました。夜10時頃の地震で目が覚めた時には電気が復旧していたので、すぐにヒーターをつけて暖をとりました。電気が無いと本当に夜は何もする事がなくて、寝ることしか出来なかったのですが、本当に電気の有り難味をしりました。
3月13日
久しぶりにまともな飯を食べて出勤。工場内の電気回復を待って点検して帰宅。そろそろガソリンが心もとないのでしたが、どこも売り切れ状態で断念しました。
流通が止まっているようで、食料やガソリンの供給が再開しないといつまでこの生活が続けられるのか分かりません。また計画停電の話も出てきているようで先行きは不安ばかりです。未だに続く余震。一日も早い復興を祈っております。
コメント
不安な状況が続くと体調を崩しやすくなります。お体にはお気をつけて。